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建宮実和 インタビュー 

※インタビュアー:中尾聡志(Ordinary World)



­──「結わい」ではどんな訪問看護をしていますか?

建宮 まずは一人の患者さん、あるいはご家族とじっくり関わることを大切にしています。そのときの病態や障害の程度を把握し、そのなかで様々な選択肢を一緒に探し、実現できるようサポートすること。すると、病院では見ることのない、その人本来の表情を見られます。その人にとって居心地の良い場所にいられることの力。これには本当に驚かされます。じっくり関わるとは、その人の病や障害に一緒に向き合うこと。支援する側があれこれと先回りせず、患者さんやご家族の求めているペースをともに感じながら、療養の環境づくりを進めます。


──患者さんやご家族のペース?

建宮 ケアを受ける環境の理想は実に人それぞれです。その方、その家族全体の生きることに対する熱意や思い、あるいは迷いに、ていねいに耳を傾けるようにしています。すると、病院では一言も喋らなかった方が色々な冗談を話すようになったり、手を合わせて「ありがとう」と仰ったり、もう何もできないとあきらめていたような方が、新聞を広げて読むようになったりするので、私自身もびっくりします。ご家族は驚きと同時に、「家に帰るって決めてよかった」と安堵の表情をみせます。今後支えていくことにも自信と希望を持って、ケアに参加してくださいます。

──病院と違うところは何ですか?

建宮 亡くなったときが一番違います。病院での敗北感みたいな気持ちを感じたことはありません。病院だと、「頑張ったけど仕方ない」、「病気には勝てなかった」、という言葉が飛び交い、また、私たちも「力がおよばなくてすみません」という気持ちになってしまう。でも、家での看取りは違います。まず、ご家族の方が、残念とか、悲しいとか、仕方がないとか、そういう言い方をあまりしません。患者さんをご家族で囲んで、思い出を語って、いつも着ていたお気に入りの服を着ていただいて。「よかったね」という言葉が聞かれたり、泣きながらも笑顔がみられたり。何かこう、達成感があるかのような雰囲気に包まれています。不思議ですね。

 

一方、「絶対に家が良い」とも言い切れないところはたくさんあります。その患者さん、ご家族にとってよい場所はどこなのか、一緒に探して迷いながら決めていきます。看護師としてその経験があれば、病院や施設に戻ったとしても、患者さんとご家族の不安にしっかりと寄り添えるようになれるでしょう。また自分自身も、大切な人が倒れて介護しなければならなくなったとき、訪問看護の経験があると絶対に役に立ちますよ。私、病院に勤めていた頃、訪問看護は経験を積んで年をとってからやろうと思っていました。でもやってみて分かったことは、今だから体力的に楽しめるし、非常にたくさんの学びがあります。訪問看護は実に奥深い世界で、その人のご自宅という環境で関わることができるという経験は看護師として非常に有り難いことです。家で過ごすことがその人に与える温もり、長年寄り添って生きるご夫婦の姿をリアルにみることは、私自身の人生にとっても大きな財産になっています。

──「結わい」では、どんなことを大切にされていますか?

建宮 患者さんが大切にしていることを、私たちも一緒に大事にすることです。私たちは、少しでも命が永らえたほうがいいと思って接してしまいます。でも、本人は病気のことよりも仕事が大事だったり、家族のことが大事だったり、自分の命を永らえることしか考えてない人ってあまりいない。他にも大事にしていることや、大切にしている人がいて、病気はいろんなことのうちの本当にわずかなところなんですね。そこをこちらが理解できていないと患者さんは心を閉ざしてしまい、話もしなくなって、進むものも進まなくなってしまいます。でも、そこを一緒に大事できると、例えば、病院では点滴とか絶対にヤダと言っていたのに、急に「やるよ」って言ったり。患者さんの中で何かがほどけて、前に向かえるようになれるのかもしれません。

──一緒に大事にするとは、具体的にどんなことなのでしょうか?

建宮 今まで何があったか、聞きに行くこと。私としては、その人の気持ちをひたすら受信するような感覚でいます。患者さんのところには、指示ありきで訪問するので、やらなきゃいけないことはある程度あります。身体の中で何が起こっていて、なぜここが痛いのかとか、なぜ歩きにくいのかとか、今その人がどんな状況なのかをなるべくわかりやすくお伝えすること。あとはこのあとどんな経緯になるか。例えば、癌の末期の人だったら、熱が出るかもしれないとか、身体がむくんでくるかもしれないとか、起こり得ることをお伝えします。それと、我慢しないような声かけです。痛いときは我慢しないでお薬飲んでとか、無理して食べ過ぎないでとか。がんばりすぎず、緊張を解くようなことをお話しています。そんなやりとりをしていると、たいがい向こうから話して下さいます。会いたい人がいるとか、こういう仕事をやっていたとか、こういうところに行ったとか、あれを食べて美味しかったとか。聞くことに力があるのか、話すことで何かが解放されるのか。不思議です。

 

 

2015/1/29 中尾聡志(Ordinary World)=文

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